■よくある誤解②「みんな何をしてもいい(受け容れろ)ってこと?」

次に、「何をしてもいい(受け容れろ)ってこと?」という受け取り方について考えてみたいと思います。

例えば、周りの子や先生に毎日暴力を振るう子が居たとして、それでもいい(受け容れないといけない)ってことなの?というようなことです。

これは、もちろん決してそんなことはありません。

「いい」というのはあくまでその人の「存在」を肯定するものであって、その人が何をしたかという「行為」を肯定するものではないのです。

なので、いくら暴力を振るっても振るわなくてもその子の存在は他の子と変わらず大切ですが、暴力を振るうという行為は困ることとして分けて捉えて向き合う必要があります。

そして、困った行為に向き合うときにこそ、この「みんないい」という在り方が大切です。

それはなぜかというと、困った行為があった場合に、その行為とその子の存在の価値とをごちゃまぜにして、その子をまるごと否定してしまい大きく傷つけることになるといったことが、とてもよく起こりやすいからです。

できないからダメな人だ、悪いことをしたから悪い人だといったように、何をしたかでその人自身の価値を決めるのではなく、また、できないという事実や悪いことをした事実から目を背けるのではなく、しっかり分けて捉えて、その人の価値を変わらず認めるのが「みんないい」です。

~第5回へつづく~

執筆者:unico代表 濱田 諒